こんにちは、やつお(@yatsu_o)です。
「いろんな経験をして100歳を超える方は、どんなものの見方をしているんだろう?」と、以前から興味がありました。
そんなおり、先日に篠田桃紅(しのだ とうこう)さん著の『一〇三歳になってわかったこと』という本を読んだので、とくに印象に残った5つについて感想を書いていきます。
やはり、月日をかけ多くのことを経験している方の言葉には、とても説得力がありました。
※この記事は、およそ2分で読めます
「一〇三歳になってわかったこと」の感想
生きる姿勢
誰かの説明を頼りになにか(たとえば絵画)を見ると、永遠に説明を頼るようになってしまい、捉え方を自ら狭めていることになります。
たとえば、高齢者が人を頼りにスマホを買うと、スマホを使用するときも人を頼るようになってしまう…
そうなると、スマホを使いこなす楽しみを自ら放棄していることになります。
著者の文を読んでいると、何歳になっても『自分の目で見て考える』ことこそが、生きる姿勢として限りなく正しいのではないかと思ました。
思い残すことが少ない人生
高齢になるほど、やれることとやれないことがでてきます。
そのため、体が丈夫なうちは、自分がやっておきたいと思うことはどんどんやったほうがいい…
「そうすれば、死ぬときに思い残すことが少ないかもしれない」と著者はいいます。
まわりの高齢者を見ていても、面倒に思うことが多くなっていると感じるので、可能な限り行動しておいたほうがよさそうです。
誰もやらないときに、やったことが大事
あと出しじゃんけんのように、人の成功を見届けてから「私もできます」と真似ることは誰でもできます。
しかし、まだ誰もやったことのないことをやった人は、自分の責任でやって自信を蓄えることができるんです。
人々に受け入れられたり、認められたりするかはわからないけれど、行動したことに意義があります。
「人の成功を見届けてからの、あと出しじゃんけんでは “つまらない”」という著者の言葉が心に刺さりました。
つまらない人生が嫌なら、『思いたったら即行動』を実践したほうがいいですね。
無駄な時間はない
“無駄な時間” という言葉で真っ先におもい浮かぶのは、このところの “タイパ主義” ですね。
とくにZ世代が好む思考らしく、比較的に私も重視している考え方ですが、そんなタイパをズバッと切り捨てるような内容が書かれていました。
無駄のなかにこそ、次のなにかが兆しているため、”無駄が多くなければだめ” というものです。
著者は美術家ですが、「私の日々も、無駄のなかにうずもれているようなものです」と言っています。
毎日、紙を無駄にして描いて時間も無駄にしている…
しかし、最初から完成系の絵は描けないので、どの時間が無駄でどの時間が無駄でなかったのかなど分けることができません。
人生においても同じことが言えそうなので、わたしも無駄だと思うことがあっても後悔せず、『無駄はよくなる必然』だと考えるようにしようと思いました。
満足できる人が幸せになれる
著者はいろんな人と出会い、さまざまな人生を見てきたものの、どういう人生がいちばん幸せだったのかは「いくら考えてもわかりません」と言っています。
実例を織り交ぜたうえで書かれていた「いいことずくめの人は見つからない」という一文には、強い納得感がありました。
やはり何事もトレードオフで、『一つ得れば一つ失う覚悟』は必要なようです。
いいことずくめの人はいないし、何もかもが満足な一生もないため、「これくらいが自分の人生にちょうどいい」と満足できる人が幸せになれるんですね。
あとがき
じつは1年ほど前に読んでいた本ですが、あらためて読んでみると、まるでこれまで読んできた自己啓発本やYouTube動画のないようが凝縮されているような内容だったので驚いています。
ただ、100年以上生きているだけでは到底書けない内容ではないかとも思いました。
ふだんから『自分の目で見て考える』ことが習慣化されていた方だからこそ、これほどまでに多くの自己啓発本が網羅されているような内容になったのではないかと。
それにしても、『無駄な時間はない』という言葉には、なんだか救われた感じがします。
さいごまで読んでいただき、ありがとうございます。
関連記事